1957年3月3日、アイリスは、この地に誕生しました
四方に丘を望む、菜の花や桃の花に囲まれたのどかな土地
それから長い年月を経て、景色も、世の中の様子も、ずいぶん変わりました
でも、アイリスにはいつも、キラキラした目の子どもたちの笑い声があふれています
ふりそそぐ透明な光と、吹き抜ける透明な風を深呼吸して
自分の体で感じながら、自分の頭で考えて
力を合わせて、それぞれに工夫して、思いやって
みんなで自分たちの一日を作っていく
昨日ふしぎに思ったことを、今日はかたちにして伝えてみよう
今日の先には明日があって、その先には、きっとステキな未来がある
どこまでも遠くまで、自分の足で歩いていくために
たくさんの大切なことを、やわらかな心に刻んでいく……

アイリスは、そんな子どもたちの、日々の暮らしがある場所です
東京美術学校(現:東京藝術大学)を卒業して、画業の傍らに子どもや大人の集まる美術教室を開いていた村谷壮一郎は、幼稚園教諭だった妻の玲子と一緒に、この場所に小さなアトリエを建てました。まだ紙や絵の具も贅沢だった時代、子どもたちに思い切り創作を楽しんでほしい……お金も土地もなく、そんな夢だけを持っていた二人は、わずか19人の子どもたちを「アイリス美術学園幼稚部」初の卒園生として送り出します。

園舎の設計もさまざまな備品も手作りしながら、1962年には「アイリス幼稚園」として認可を受けます。子どもたちの数も次第に増えて、1977年には学校法人になりました。
知識を詰め込むだけでなく、単に放任するのでもなく、子どもたち一人ひとりの興味や感性に向き合って、この時期ならではの柔軟な可能性を育てるにはどうしたらよいのか……さまざまなアイデアを実践しながら、地域の多くの人たちに支えられて、長い年月を重ねました。今は、村谷夫妻の一人娘理佳と、学生時代からアイリスの手伝いをしていた夫の新垣博幸が、次代のバトンを受け取っています。

「あのね、今日はこんなことがあったんだよ」と、子どもたちが目を輝かせて家族に話すような場所。たくさんの卒園生が、いつでも「ただいま」と帰ってくる場所……
50年以上経った今も、若い夫婦が子どもの素晴らしさに魅入られたことから始まったアイリス幼稚園は、同じ市川の地で、みんなのキラキラした笑顔を見つめ続けています。



■皆さんも一度は見かけたことのある老舗菓子店の缶や、かわいらしいマリオネットが踊るあのコマーシャルなど、デザイナーとしての作品を数多く残しています。実は、そのひとつひとつが、アイリスの経営を何とか軌道に乗せるために注ぎ込まれていたのでした。


■美しいものは、額縁に飾られてありがたがられるものではなく、人の暮らしが真摯に求める必要と、個人と外界の関わりが広がる契機の本質にもなるもの……園舎や、子どもたちの日用品を自分で作ることも、壮一郎にとってはそんな思いと不可分な成り行きでした。


■教師の作った時間割通りに、子どもが受け身に過ごすだけでよいのか……その疑問から、現在のアイリスのスタイルに至りました。子どもが「これをやりたい」という強い意志を、大人が見逃さず受け止めて育てる、即応的な双方向性を作り上げてきた歴史があります。